不幸なセフレ関係に陥りやすい都合のいい女がわかっていないこと

恋人の前段階としての「セフレ」は過ちである

それが「男女の関係」であるということ、また、いくら身体だけの関係であるとはいっても「セックスをしてしまっている」という揺るがしがたい事実によって、「セフレ」という特殊な関係性は、「恋人」という関係性の前段階的なものとして考えられてしまう傾向があります。

「セフレ」の延長線上には、関係性の進化系(あるいは最終目的)であるかのようなあり方で「恋人」という関係性がある。このような、直線的なイメージ、「恋人未満の関係性(セックスだけの関係から恋人になりうる関係性)」としてとらえられがちな「セフレ」ですが、「セフレ」という人間関係をこのようなイメージでとらえるのは過ちであり、実はとても危険なのではないか、と私は考えています。

セフレと恋人という関係性に立ちはだかる根本的断絶

セフレと恋人という関係性に立ちはだかる根本的断絶

このような「セフレの先に恋人」というイメージを前提にして導き出されることになる最もわかりやすい問題としては、「セフレから本命彼女になることは可能であるか?どうすればよいか?」というものが挙げられるでしょう。

「セフレ」にまつわるこういった問題を取り扱うテキストにおいては、「セフレ」として扱われる女性は「二軍」「セカンド彼女」などと呼ばれることが多く、「恋人」として扱われる女性は「一軍」「本命彼女」であると語られ、「セフレから恋人、二軍から一軍へ、セカンドから本命に昇格するためにはどうすればよいか」ということが考察されます。

このような問題提起や考察に関しては、正直なところ、「セフレ」と「恋人」というそれぞれの人間関係の間に立ちはだかっている「根本的な断絶」を見逃していると言わざるを得ません。前提からして大きく間違っているという状態です。

おそらくそれほど深い考えもなく放たれているであろう「二軍」「セカンド彼女」という言葉と、それらの対抗馬であり昇格先ということにもなっている「一軍」「本命彼女」というような素っ頓狂な言葉を見ていると、「自分の意志に反してセフレになってしまいがちな女性(しかし、セフレになりやすいタイプ)」がなぜ「セフレ」という関係に取り込まれやすいか、また、「セフレが欲しい」と考えている男性にとって「都合がいい女性」とはどのような女性なのか、というようなことがよくわかるように思います。

セフレと恋人の根本的な断絶の見取り図のために

「セフレになりやすいタイプ=男性にとって都合がいい女性」というのは、一言で言ってしまえば、「セフレ」と「恋人」の間の「根本的な断絶」について一度も考えたことがなく、二つの関係性を雑に混同し、「なんとなく、つながりがあるもの」となんとなく考えてしまっている女性たちであると言うことができます。

一方で、「セフレが欲しい」と考え、また実際に「セフレ」と関係を築くことにもなる男性は、「セフレ」と「恋人」という関係の「根本的な断絶」をしっかりと理解した上で、それぞれの「関係」の独立した性質を認めつつ、その「断絶」に意識的な態度をキープしながら「セフレ」を探します。

セフレになりやすい女性のなかでは曖昧にされ混同され、かたやセフレが欲しい男性のなかでは峻別されている「根本的な断絶」とは一体どのような「断絶」であるのでしょうか。

この「断絶」については、「セフレから恋人へ」という文脈のなかで比喩的に用いられることがある「二軍」「一軍」という言葉を参照することによって、わかりやすい見取り図を取り出すことが可能でしょう。

「二軍」「一軍」という言葉から、この「断絶」はある程度まで「スポーツ」に例えて説明することができます。

セフレが一軍に昇格してもセフレの三冠王問題になるだけ

セフレになりやすい女性は「セフレ」と「恋人」というのを「同じ競技」だと考えており、セフレが欲しい男性は「セフレ」と「恋人」が「全く違う競技」であると考えています。

いうなれば、「セフレ」と「恋人」という関係性は、「甲子園からプロ野球」というような形での発展の可能性がある関係性ではなくて、いうなれば「野球とサッカー」と同程度の、「カテゴリーだけは同じだが、それぞれは独立している別種の無関係のもの」であると言うことができます。

もし「セフレ」の女性に「二軍」なる立ち位置があるとして、それに「一軍への昇格」などという進展が仮にあるとすれば、それは、「男性にとってとにかく都合がよく、セックスも最高に気持ちよく、金もかからないタダマン可能なセフレになること」が「一軍への昇格」ということになるでしょう。「セフレの一軍」、それは、言い換えるならば「セフレの三冠王」です。

「セフレの一軍」として優秀な成績を収め、「セフレの三冠王」になったとしても、それは、「恋人」という「別のルール」が支配している「別の競技」とはまるで関係ないところで獲得して構築した「セフレ独自の地位」でしかありません。

「セフレから恋人へ」ということを考えてしまう女性、特に「一軍」や「二軍」というような考え方を持ってしまいがちな女性は、「今は二軍かもしれないが、いつかは一軍に昇格を……」などとボンヤリと考えて、悩んだり嘆いたりする傾向がありますが、二人の関係性が「セフレ」でしかない以上、「セフレの三冠王」にはなれても、「恋人になる」という意味での「一軍昇格」はまず望めないと考えたほうがよいでしょう。

セフレがセカンド彼女という言葉を使う滑稽さ

「セカンド彼女」という言葉も、「競技の混同」の一例として実に象徴的な単語であると思います。なぜなら、「セフレ」という関係性においては、そもそも「セカンド彼女」という言葉を使うこと自体が許されてはいないからです。

その関係が「セフレ」であるならば、「本命セフレ」や「セカンドセフレ」という言葉は(意味はよくわからないにせよ)まだ通用するかもしれません。

ですが、「彼女」という単語は、「セフレとは全く違うルールの別の競技」であるところの「恋人」という関係性の「競技」においてのみ使用可能な単語なのですから、「セカンド彼女」などという言葉は「セフレという競技」の上では絶対に成立しない言葉なのです。

「セフレ」との関係に悩む女性が、「競技の違い」を混同したまま自分のことを「私って『セカンド彼女』に過ぎないんだわ」などと認識して「恋愛」のプレイヤーであるかのごとく悲嘆に暮れている滑稽さは、二塁ベースを守り463の見事なダブルプレーを決めながら、自覚もなく「ああ、私っていつまで“控え”のミッドフィルダーなのかしら」などと言っている滑稽さに等しいでしょう。

関係性が「セフレ」でありながら「セカンド彼女から本命彼女へ」というような言い回しを採用することは、まるで、「逆転満塁サヨナラホームラン」を打ったあとのヒーローインタビューで野球選手が「いつか必ずハットトリックを決めたいですね!」などと答えているかのような、救いがたい馬鹿らしさに満ちあふれているのです。

恋人探しをしている女性をセフレ領域に引きずり込む

恋人探しをしている女性をセフレ領域に引きずり込む

さて、ここからは「さすがに『スポーツ』とは違ってやはり『人間関係』の、とりわけ『男女関係』のややこしさとファジーさであるなあ」とつくづく痛感させられることになるのですが、「野球とサッカー」のような「その違いが明確にわかりやすく、混同の余地がないもの同士」と違って、「セフレと恋人」というのは「違う競技でありながら、さも同じ競技であるかのように振る舞うことができる」という実に厄介な特質を持っています。

「野球とサッカー」というものを「峻別」せずに「混同」し、「違うルールを持つ競技を、異種格闘技戦をするかのようにして強引にプレイしてみる」ということがいかに無謀であるかは明らかです。「野球は野球、サッカーはサッカー。同じスポーツで球技でも、それは別物でしょ?」なんてことは、ろくに考えなくてもすぐにわかるようなことです。

ところが、「セフレと恋人」になると、「明らかに違うルールを持つ競技でありながら、さも同じ競技であるかのように意図的に混同させながらプレイすること」が可能であるという曖昧さを持っています。

「セフレと恋人」は明らかに違う競技でありながらも、その境界線は、「セックス」という行為にどのような意味を与えるかによって曖昧にぼやかし、巧妙にごまかすことができます。

女性に対する支配関係と権力勾配が男性に与える快楽

「セフレ」という「競技」においては、「競技の峻別」をしている「セフレが欲しい男性」が、「競技の混同」の状態にある「セフレにしやすい女性」に対して、「さも同じ競技(恋愛)をプレイしているかのように思い込ませて、自分が専門とする競技(セフレ)の領域に、『恋人』という競技をプレイしたがっている女性を騙し騙し引きずり込むこと」ができてしまう、というわけです。

「根本的な断絶」を把握したうえでその「断絶」がまるでないかのように振る舞い、「混同」の状態にある人間を自分の領域に引きずり込んだ場合、「峻別」をしている側の人間は、「混同」をしている側の人間と比べて、はるかに有利に事を運ぶことができます。

自分がプレイしたい競技に引きずり込んで、自分の競技のルールだけは「絶対」であり、相手の競技のルールは全面的に「禁止」した状態で、自分が望む競技を一方的にプレイする。

そうすることによって、「違う競技をしている」という自覚がないままにフィールドに連れ込まれた「他競技のプレイヤー、素人の門外漢」を、つねに支配下におきながら、主導権をたえず握ったままゲームを進行させ、「フルボッコ」にすることが可能になります。

この「フルボッコ」としてのセックスが可能な環境においては、「セフレと恋愛という競技を峻別している男性」による「セフレと恋愛という競技を混同している女性」に対する支配欲の充足と、権力勾配の偏りから導き出される関係性の快楽があります。

セフレ関係を支えるゲームの規則の最重要ポイント

「セフレ」という「競技」を楽しみたいのであれば、「恋人とセフレ」を混同している女性ではなく、「セフレ」という「競技」であることを理解した女性とセフレになればいいのではないかと思われるかもしれませんが、「セフレ」を作ろうとする男性は、そのような「セフレと恋人を峻別している女性」ばかりを相手にするわけではありません。

むしろ、セフレを作ろうとする多くの男性は、「セフレ」というものを「恋人」と峻別してセックスを楽しめる女性ではなくて、「恋愛」という競技を求めて「セフレと恋人」を混同している女性をうまく騙してセフレにすることを好む傾向があります。

セフレを作ろうとする男性のこの「他領域への侵犯」ともいえる欲望を理解するためには、「違う競技を求めている無力な存在から手段を奪い、無防備な相手を半ば強制的にフルボッコにする」という行為を可能とする「権力勾配の獲得」が、「セフレ」という競技をより「快楽的」にするための「一要素」である、という側面を無視することはできないでしょう。

というよりも、この「一要素」こそが、ある種のセフレが欲しい男性にとっては、「セフレ」という「恋愛」とは異なる競技の「ゲームの規則」を根底の部分から支えている場合もある、ということはしっかりと強調しておくべきかもしれません。

セフレを探す男性は欲望のために恋愛脳の女性を探す

「根本的に違う競技である」というような共通点を持っているにも関わらず、「スポーツにおける競技の差異」と「人間関係の差異」が決定的に違ってくる(結局のところたとえ話にしかならない)ポイントとして、この「一要素」の考察は避けて通れないようにも思われます。

「野球」という「スポーツにおける競技」は、「野球」を楽しむために「野球以外の競技を楽しむプレイヤー」を必要とはしません。

「野球」を楽しむためには「野球」を楽しみたいプレイヤーだけが集まればよい、ということは、改めて説明する必要もないでしょう。これは「野球」を「サッカー」におきかえても同様であるということは言うまでもありません。

ところが、「セフレ」という「人間関係」は、そこが「野球」や「サッカー」などの「スポーツにおける競技」などとは決定的に違う側面を持ちます。

「セフレ」という関係性は、「セフレ」を楽しみたいプレイヤー同士だけでは満足しえない快楽の領域をひそかに抱え込んでいます(それは、原動力にもなりえる暗く深い領域です)。

「セフレ」は、「セフレ」という関係特有の快楽をより満足させるために、「恋人」という関係性を求めている「断絶された別の競技のプレイヤー」といえる存在を必要とする場合があるのです。

そして、これまた「スポーツ」と「人間関係」の大きな違いになるのですが、「野球」と「サッカー」を入れ替えるようにしては、「セフレ」において前述したようなこと(他領域を侵犯することによる快楽の拡大という側面)については、「セフレ」という言葉を「恋人」という言葉に置き換えてすんなりと適応させることができない、ということも興味深い点であるといえるでしょう。

「恋人」という関係を求めている人間は、「恋人」という関係から得られる充足を強めるために、「セフレ」という関係を求めている人間と「恋人」として交際する必要がまったくないのです。

肉体的快楽だけのセックスでは満足しない男性たち

「セフレ」を作ろうとする男性が、「恋人」を求めている恋愛脳の女性に「恋人」であるかのような顔を装って近づいて「セフレ」にするという行為は、「セフレ探し」というゲームをより楽しむための行為ということがいえます。

「セフレ」が欲しい男性は、権力関係において優位に立つことを前提にして「都合がいい女性」をつねに探しています。ここにおける「都合のいい」には「相手を都合よく支配できる」というニュアンスも含まれているでしょう。

このとき、「セフレ」を「恋人」と峻別している女性が相手であると、「セフレ」が欲しい男性は、「同じ競技を楽しむプレイヤー」と「対等の立場」に立ってセックスをしなければなりません。

「対等の立場」であるということは「支配ができる相手ではない」ということですから、「いつでもセックスができる、プライベートに干渉しない、デート費用がかからない」というような「都合の良さ」はあるものの、「相手を精神的に支配しながらするタダマン」というような醜悪な「都合の良さ」を見出すことはできません。

「セフレ」を探す男性にとって、この最後の「都合の良さ」こそが「セフレ」となる相手となる「都合の良さ」の最も重要な点である場合が多く、そうなると「対等の立場」でセックスをすることになる「セフレを求めている女性」は、男性にとっては「都合がよくない女性」になります。

「予定調和」の「セフレはセフレである」と了解しあったセックスからは、「肉体的な接触」による快楽しか導き出すことができません。そのセックスは、セフレが欲しい男性にとって実に味気ない、物足りないセックスに感じられることでしょう。

精神的快楽のために眼をつけられる都合の良い女性

精神的快楽のために眼をつけられる都合の良い女性

「セックスだけ」で関係性が繋がっている「セフレ」との「セックス」は、どうしても「肉体的快楽」に偏りがちです。ここに「精神的快楽」を付け加えるためには、何かしらの工夫が必要となるでしょう。

そこで、「精神的快楽」のために男性によって眼をつけられるのが、「セフレと恋人の区別」について一度も考えたことがないような、「セックスをしたってことは、私達って付き合ってるってことになるのかな?」などと考えてくれそうな思慮の浅い女性ということになります。

自分は「セフレと恋人」をはっきりと区別した状態で、こういった女性の近くに「恋人候補」のような態度で現れるというのが、「セフレが欲しい男性」の常套的な手段となります。

ここでポイントとなるのは、「セフレが欲しい男性」が、徹底的に「お互いの関係性を名付ける」ということを拒み、それを回避しようとする態度をとりつづけるということです。

「私のことが好きなのかな?」というような思わせぶりな態度をとりながらも、「付き合う」というような状態に繋がりかねない言動、「交際の証拠」となるような発言を極力おさえこみつつ、「スキンシップ」は欠かさない。もし、こういった男性が近くに現れた場合、それはまず間違いなく「恋人ではなくセフレが欲しいだけの男性」であると判断してよいでしょう。

「セフレと恋人を峻別しているタイプの女性」は、初期の接近の段階で、この相手が「セフレを探している男性」なのかどうかを見極めたり、あるいは「問いただす」という行動に出るのですが、「セフレになりがちな女性」は「セフレと恋人を混同している」状態にあるので、男性に対する見極めも問いただしもすることができません。

相手が「混同型」の女性とわかった途端、しめたものです。セフレを探している男性は、お互いの関係性を「名付ける」ということは決してないままに、「なあなあの、流れに身を任せたセックス」に持ち込もうとしはじめるでしょう。

セフレ男性はセフレ獲得のためならどんな努力も惜しまない

「セフレを探している男性」にとって「最初のセックス」までの交流の時間は、「この女性は“峻別型”と“混同型”のどちらか?」をじっくりと探る時間でしかありません。

相手の女性が「峻別型」とわかれば即座に身を引き離しますが、もし相手が「混同型」の女性であれば、「最初のセックス」に持ち込むために、どんな「甘い言葉」も「エスコート」も欠かすことはありません。

「自分が支配下に置いている下位の立場にいる女性と、金銭を支払わずにセックスだけは楽しむ」という「都合の良さ」を獲得するためには、「相手が自分のことを好いていてくれている、恋人になりたいと考えている」という条件が欠かせません。

ですから、「セフレを探している男性」は、相手のことを性処理の道具だとしか思っていないにも関わらず、「相手に自分を好きになってもらうための努力」だけは惜しみません。

この態度は、「最初のセックス」までの時間はもちろんのこと、「セフレ関係(女性からすると、恋人未満に感じられる関係ですね)」になってからも、「都合がいい支配下セックスの相手」をキープするという目的のためならば、どんな優しい態度でもとってみせることでしょう。

ですが、絶対に「恋人」という関係性に繋がるような発言はしません。のらりくらりとそこだけは回避しつづけながら、ただただ「都合がいい支配下セックス」だけが続く関係を維持しようとつとめます。

やり手の男性であれば、セックスを通してセフレの女性を精神的に依存させるためにあらゆる手段を弄することもあるでしょう。

セフレをキープするという熱意によって態度が変わる

「この人は、私のことを恋人にするつもりなんて少しもなくて、ただただセフレとしてしか見てくれてないのではないか」ということに女性が気づいて疑問を抱きはじめるまで、セフレが欲しい男性は、「キープのための努力」「関係性の明言の回避」を継続する傾向があります。

もちろん、「セフレを探している男性」のなかには、「恋愛脳」の女性を「セフレ」にしたという事実だけで満足してしまうのか、あるいは相手を性処理の道具だとしか思っていないことが数回のセックスを経て次第にダダ漏れになるのか、「セックス」のために会った女性に対して、出会った頃の表面的な優しさが明らかにセックスのための嘘でしかなかったと即座にわかるような「冷たい態度」を早い段階でとってしまうタイプもいます。

こういった冷たい態度を早々に選ぶ男性は「セフレキープに対するツメが甘い」か、「セフレとして飽きた」かのどちらかであると考えてよいでしょう。

しかし、このようなタイプの男性は「性処理の道具」として扱われる「都合がいい女性」としては、早い段階でセフレ関係を断ち切ることができる相手でもあるのですから、ある意味では、ありがたい存在であるといえなくもありません(あくまで相対的な「ありがたさ」でしかないですが)。

それでも関係性を混同する都合がよすぎる女の完成

より厄介なのは、女性のほうが「セフレとしてしか見られていない」ことに気づいており、疑問を抱きはじめたにも関わらず、それでもなお「セフレキープの可能性」を延長しようと画策する男性ということになるでしょう。

ここで、セフレが欲しい男性は、セフレとなっている「都合がいい支配下セックス」を相手にとった、二度目の「“峻別型”と“混同型”の検証」に入ります。

この二度目の検証は、「このセフレは、“セフレから恋人に昇格できる”と考えているタイプかどうか」というフェイズに移行します。

ここで「いくらセフレといえども、とうとうセフレと恋人の断絶に気づいた」と判断されれば、セフレ関係は解消されるでしょう(というより、女性のほうからそれを切り出すことになるはずです)。

ですが、ここでもし、「都合がいい支配下セックス」をされている女性が、「セカンド彼女」「二軍」というような考え方の女性であった場合、セフレが欲しい男性は、「なるほど、このセフレとは“彼女への昇格”を餌にして、もう少しだけ関係が継続できそうだ」と判断し、「恋人に昇格できそうな雰囲気」を醸し出しながら交際を継続する方向に作戦をシフトさせるでしょう。

そして、前提からして大間違いの問題提起でしかない「セフレから本命彼女になることは可能であるか?どうすればよいか?」という悩みを抱えた一人の「都合のいい女性」が完成するというわけです。

セフレが欲しい男の思う壺ですね。で、ここまで気づいていながら、なぜか「セフレ」と「恋人」の「根本的な断絶」という地点にまでは思考が到達せず、依然として混同したままの状態で、「二軍」だとか「セカンド彼女」だとか思いながら、存在しない「昇格」を目指し、だらだらと何年も悩みながら「セフレ」を続けたりすることになります。

セフレから恋人への関係性の移行は、昇格ではない

セフレから恋人への関係性の移行は、昇格ではない

「そんなことを言っても、セフレから恋人に昇格するパターンもあるのでは?」と思われる方も、もしかしたらいるかもしれません。

確かに、最初は肉体関係のみの「セフレ」として始まった男女同士が、「恋人」という関係に変更されたケースはゼロではありません。それほど多くはありませんが、それは「ありふれた事実」として確かに認めざるを得ません。

ただ、ここで重要になってくるのは、それが決して「セフレから彼女への直線的な進化」、いわゆる「昇格」ではない、ということです。

それは「昇格」ではなくて、「関係性の根本的な変更」であると考えなければなりません。「二軍から一軍」にあがったのでも「セカンド彼女なるものから本命彼女」になったのでもないのです。

「セフレ」という関係がもし「恋人」という関係になったとするならば、それは、「セフレ」という「特定の競技」から男性が「引退」を決意し、女性が求めている「別の競技」であるところの「恋人」に「新人として転向してデビューをした」ということでしかありません。

「同じようなことを言い換えているだけなのではないか」と感じられるかもしれませんが、セフレにとっての「都合のいい女」にならないためにも、「昇格」と「関係性の根本的な変更」の微細ではあるが決定的な違いは、しっかりと区別をつけておくに越したことはないと私は考えています。

セフレが欲しい男性にセフレ関係をやめさせるのは難しい

「セフレ」という関係を「恋人」に変更させるための方法は、一つしかありません。

それは、「セフレ」という遊びをずっと続けていきたいと考えている「相手」を説得し、自分が「セフレ」に誘い込まれたときのように、「恋人」という自分が求める「競技」の領域に相手をなんとか引きずり込むことです。

このように方法だけを書きますと「なんだ、セフレから恋人になるのなんて、簡単じゃないか」と思われるかもしれませんが、もし、そう思われるのであれば、「セフレが欲しい男性」の性質をまるで理解していないうえに、「説得ができるはずだ」と勘違いすることによって「ダラダラとセフレ関係を続けるための口実」を相手に与えるだけになるでしょう。つまり、「都合のいい女」のままです。

ここで、再び「スポーツ」のたとえに戻ることになります。

「セフレ関係をやめて恋人になってほしい」と頼み込んで、相手に「根本的な変更」を要求するという行為は、「野球が大好きすぎて仕方がない野球少年に対して、『金輪際野球はやめてもらい、これからはなんの興味もないサッカーにハマってもらって、サッカー少年になってほしいのだ』と要求する」ような「無茶」な行為です。

「野球少年」からしたら「ふざけるな!」といったところでしょう。そんな要求をしてくる人間を「野球少年」は嫌悪し、忌避し、理不尽な要求に対しては断固として抵抗し、「おれは野球が好きなのだからこれからもずっと野球で行くのだ」という態度を貫き続けること間違いなしです。

「ハイ、わかりました。僕はサッカーが大好きです。もうサッカーしかしません」といって、大事にしていた野球の道具を捨て去り、サッカーボールを蹴り始め、野球のことなどまるで考えない、というような「従順に言うことを聞く野球少年」などは、まずほとんどいないと考えてよいでしょう。

ヤリ捨てられるか性処理道具としての期間が伸びるか

「セフレ関係をやめて恋人になってほしい」とセフレの「都合がいい女性」に頼まれることになる男性も、ほとんどはこの野球少年と同じ決断をすることになるはずです。

セフレが欲しい男性は、「都合がいい女性」に対して「ふざけるな!」などと野球少年のように激昂する資格を持っていないと思いますし、そんな激昂をする男性がいたらドン引きですが(いるでしょうけど)、考えられるのは「セフレをやめて恋人になってほしいというのなら、今日でお別れということで。気持ちいいセックスでした。おつかれ。」といって、冷静に、あっさりと「関係性を解消する」方向で話をまとめる、という末路でしょう。

そして、別れて数秒後には性処理の道具でしかなかった「セフレ」だった女性のことなどは忘れてしまい、つぎの「セフレ」を探し始めることになるだろうと思います。

「いや、『恋人』は『恋人』というカテゴリで、『セフレ』とは別に探すんで」というふうに考えている男性も多いことでしょう。そもそもそういう「峻別」のもとに関係性を築いていたのですから、男性としては「セフレ」でしかない女性に対して「いまさら気づいてももう遅いんですけど、恋人とセフレはそもそも根本的に別物ですからね」と言いたくなるのではないでしょうか。

「この人、私のことセフレとしてしか思ってないんだ!そっか、じゃあ、なんとしてでもセフレの進化系であるところの恋人に昇格しなきゃ!」と考える女性は、自分が「野球なんて今すぐにやめてサッカーはじめてよ!」というメチャクチャな要求をしていることにまるで気づいていない傾向が見受けられます。

それで、大抵は「ヤリ捨て」られて終わりです。よほどのことがない限り「セフレ」という関係を楽しんでいる男性が「恋人」という「別の競技」に移行することはまずありえません。

あるいは「こいつ、おれにサッカーやっててほしいと思ってんだな」と足元を見られて、「じゃあ表面的にはサッカーやってるふりしてこれからも野球続けるか」と判断され、性処理の道具としての期間を延長されるという末路も考えられます。

セフレにしやすい都合のいい女からの卒業のために

いちばんよいのは、「都合のいい女性」が、早い段階で「セフレ」と「恋人」という関係性が「野球とサッカーのように別の競技である」という「峻別」ができるようになることです。

「セフレと恋人になるにはどうしたらいいか」という悩みがもし生じてしまった場合は、「セフレと恋人になるにはどうしたらいいかという質問はそもそも根本的に間違っている」という視座を獲得するに越したことはありません。

「相手を『恋人』という競技に移行させること」に努力するよりも、「自分からセフレの男性を切る」という毅然とした態度をとり、「恋人」という関係を求めているであろう別の男性を探し始めたほうがいいでしょう。

「相手の競技(セフレ)」を「自分の競技(恋人)」にあわせるより、「自分の競技」とはまったく違う揺るがないルール(しかも、それは自分の競技を取り込むことで過激化する)を持った「別の競技の相手」から身を引き離すのが「セフレにされやすい都合のいい女」にならないための一番の方法であるといえるでしょう。

「セフレ」と「恋人」の「峻別」をして、それぞれのルールの違いを理解した状態であれば、自分に近寄ってくる男性に対して、その男性が「セフレ」を探しているのか、「恋人」を探しているのかをかなり早い段階で確認することができます。

セフレ掲示板でセックスだけの出会いを求めている男性と「セフレ」という関係に陥りたくないのであれば、「初手」の段階で「釘を刺す」のが一番有効です。

セフレが欲しい男性にゲームの主導権を握らせない

セフレが欲しい男性にゲームの主導権を握らせない

「セフレ」を求めている男性が、「恋愛」を求めている女性からされてもっとも嫌なのは、「関係性に名前をつけられること」であり、「関係性の曖昧さを消されて、二人の関係性を明確にされること」です。

これは「セフレ」というゲームで主導権を握ろうとして、「恋人」を求めている女性をセフレにしようとする男性を攻略し、「相手が支配的にプレイするゲーム」を早い段階で潰すための戦略であるといえます。

「関係性の確認によって初手で釘を刺すタイミング」は、「関係性が確定していない段階」で、男性が「やたらとスキンシップをとってくるタイミング」がよいでしょう。

逆にいうと、このタイミングで「関係性の確認」をしなかった場合、セフレを探している男性に、「『この人私のこと好きなのかも』と思ってて、このままセックスまで、なあなあのまま事が運べるかもしれないな」と判断させ、「この『都合のいい女』を騙しながらセフレとして扱いタダマンをいただく」というゲームが開始されることになるでしょう。

「セフレ」と「恋人」の違いについて議論をするくらいでいいのではないかと思います。そこで答えを濁しながら、関係性の名付けを拒み、責任を回避しつつ、それでいてスキンシップをはかってくるような男性であれば、それは「クロ」であると考えてまず間違いありません。

自分の貴重な肉体とかけがえのない時間を、女性を性処理の道具としてのみ扱うことだけを考えている男性に捧げてしまうという選択は、「セフレ」という関係を求めている女性以外にとっては、まったくの無駄であり、人生の浪費でしかないでしょう。

セフレが欲しい男性のカモではなく天敵になろう

とはいえ、「スキンシップ」の段階で「関係性の確認」をしなかったからといって、「相手に支配されるゲームからまったく降りられなくなる」というわけではありません。

「関係性の確認」は、「最初のセックス」の段階でも、「だらだらと続いているセックスだけの関係」のいつの段階でもすることが可能なのですし、「セフレ」という関係は、「それをやめたい」と思ったときに、自分の意志でやめられるものです。

「いつでもやめられるはずのセフレ」という肉体のみの関係を、やめたいと思いながらもズルズルと続けてしまうことになるのは、「セフレという関係性の先には恋人という関係性が待っている」という途方もない勘違い、「混同」をしている「都合のいい女性」に限られます。

「セフレなんていつでもやめられる」という「意志」は、「このセフレとはいつか恋人になれるのかも」という考えが滑り込むことによって濁り、力を弱められます。

「セフレ」が欲しい男性が、「恋人」を求めている女性を「セフレ」として扱って性的な支配を続けようとしている場合、この「セフレなんていつでもやめられる」という考えを相手の女性が持たないことを願い、関係性としては別種で断絶している「恋人」の可能性を注意深く匂わせることに注意を払います。

男女の関係性を「混同」をしている「都合のいい女性」は、恋人という面倒な関係を回避し、無料でセックスがしたいと考えているセフレを探している男性にとっては、格好の「カモ」でしかありません。

逆に、関係性を「峻別」している女性は、そういった思考回路を持つ男性にとっては、「カモ」を相手にした場合は有効な戦略が一切通用しない、セフレづくりにおける「天敵」ということになるでしょう。

不幸なセフレ関係から逃げるための出口はすぐそこにある

「セフレから本命彼女になることは可能であるか?」というような問題設定から生れ出づる悩みは、「セフレ」と「恋人」という男女の関係性の「根本的な断絶」を理解していない女性だけがすることになる、「あやまった前提」によって導かれた悩みでしかありません。

このような問題は、本来「考えるまでもない」ものであって、それで悩まされるのははっきりいって「無駄」でしかないのですが、「セフレ」になってしまう女性は、依然としてこういった悩みにとらわれつづけます。

「セフレ」と「恋人」という関係性のそれぞれの特性なりルールを理解し、「峻別」している側からすると、「都合のいい女」といわれることになる女性たちが抱えている悩みは、「出口はすぐそこにあるのに、その出口だけが見えない」というような堂々巡りにしか見えません。

「都合のいい女」を性的に支配する男性は、すぐ近くにある「出口」を知りながら、女性からはその「出口」が見えないような位置に身を置く戦略をとっているだけです。

その戦略を見抜き、すぐそこにある「出口」を見出して「出口」から飛び出し、男性による性的な支配から卒業するためには、「セフレ」と「恋人」という関係性に対する考察と、冷徹なまでの「峻別」が必要です。というより、それだけで「セフレ被害」はほぼ確実に避けることができるでしょう。

渦中にある都合のいい女性に外部からの助言は難しい

しかし、ここまで書いてもなお、「でも、セフレから本命の彼女になれると私は信じたいのだけど……」というようなことを考えてしまうような、魂の底から「都合のいい女」である女性に対しては、もう、私からアドバイスできることは何もありません。

こればっかりは「都合のいい女」である主体が、自分のことを誤魔化さずにまっすぐに見つめて、それぞれに考えなければどうにもならない領域の問題だからです。

他人が外部から何を言ったところで、「なぜ自分が都合のいい女なのかわからないような女性」、あるいは「自分が都合のいい女であるという自覚がないような女性」には、理解も納得もしてもらえないことでしょう。

ひどい場合、冷静に語り続ける態度に対して、「都合のいい女性」から怒りの感情さえ向けられることになるかもしれません。まったく、くわばらくわばら、といった感じです。

まあ、それでも、「セフレ」と「恋人」という「男女関係」における「根本的な断絶」を思考するためのヒント、「都合のいい女」がそれぞれに考えなければならないであろう問題についての糸口、簡単な「課題」だけを与える程度のお節介をしているにすぎません。

その最後のお節介として、「セフレ」と「恋人」という関係性の「根本的な断絶」を理解できない「都合のよい女性」のために、次のような練習問題を用意してみました。

セックスがからむ男女の人間関係にまつわる練習問題

セックスがからむ男女の人間関係にまつわる練習問題

「セフレになりやすい恋愛脳の女性と、性的な支配のためにセフレが欲しい男性」の「不幸な関係」における「セフレと恋愛という関係性の『混同』と『峻別』」の関係性は、性別をひっくり返すならば、「風俗嬢に恋愛感情を求める男性と、仕事として割り切って金銭のためにやむなく性行為をしているだけの女性」の「恋愛感情とお仕事としてのセックスの『混同』と『峻別』」の関係性とほぼ同じであると考えることができます。

さて、あなたは「風俗嬢」です。「お金のためにやむなく仕事としてセックス」をして、それで生計を立てています。「風俗(労働としてのセックス)」と「恋愛感情」はまったく関係がない断絶されたものだ、と把握したうえで仕事をしています。

そんなあなたには、「金銭を支払って頻繁に会いにくる常連客」がいます。あなたは、その常連客のことを「お客様」としてしか認識しておりません。しかし、その常連客は「あなたと恋人になりたい」と本気で考えているようなのです。つまり、常連客は「労働として行われたセックス」を通して、「恋愛感情」を抱いてしまったのでした。

その常連客は「会いたかっただけだから、セックスはなくてもいい」といって何枠も予約をいれてくれるので、「お金のためにする重労働であるセックス」をしなくて済むあなたにとっては、「恋人のような雰囲気」を作るのはなかなか大変ではあれども、「キープしておきたいお客様」です。

とはいっても、所詮は「たくさんいるお客様のうちの一人」でしかありません。その常連客に対しては、「色恋営業」といわれる「恋人のような時間の提供」を行いますが、それはあくまで「営業」でしかありません。また、あなたには「風俗のお客様」とはまったく関係のない「恋人」もいます。

さて、あなたは、この「風俗のオキニ」と「恋人」を混同して考えている常連客からの本気の求愛、「恋人」になりたいという要求を、「労働としてのセックス」を行う「風俗嬢」として受け入れることができるでしょうか?”

もし、「セフレから恋人へ」というくだらない問題で悩んでいるのであれば、悩みの合間の空いた暇な時間、精神的に余裕があるときにでも、この問題を少しばかり考えてみてはいかがでしょうか。